写真と案内文でたどる「三田まち歩き」
★三田観光ガイドと歩く「まち歩き」コースを写真と案内文で紹介します。
<三田駅南側コース>
三田駅を南側に出て大通りを渡り、右方向へ歩くとほどなく「中央町一番街」と書かれた案内板が目に入ります。ここを左折して昔ながらの商店街を通り抜けると車瀬橋が見えてきます。☟
車瀬橋は、三田市中心を流れる武庫川に架かる三田市民に最も親しまれている橋です。歴史と文化の散歩道の玄関口でもあります。☟
橋の中央には幼少期を三田で過ごした三好達治の歌碑があります。☟
橋を渡り、車瀬橋商店街を抜けると☟
本町通りに出ます。ここを右折して旧九鬼家住宅資料館を目指します。
明治9年頃に建てられた日本最古の「擬洋風建築」の町家の一つです。設計して建てたのは、家老九鬼隆継家の養子となった当主で鉄道技師でもある九鬼隆範です。日本の伝統的な技法と素材を用いながら、西洋のイメージを素朴に取り入れた建物です。 兵庫県重要有形文化財に指定されています。☟
旧九鬼家住宅資料館の前の通り「桜の馬場」を上っていくと三田小学校があり、門横に「三田城跡碑」があります☟
1633年(寛永10年)に鳥羽から九鬼久隆が入封し、周囲を池で巡らせた陣屋を構築しました。江戸時代九鬼久隆から13代藩主の九鬼隆義までの居館でした。
こちらは近代化学の祖と呼ばれた「川本幸民顕彰碑」です☟
「桜の馬場」をを少し下り、三田御池のほとりを通って心月院を目指します。☟
1633年(寛永10年)鳥羽(現在の三重県)より転封した九鬼久隆が当時の梅林寺を心月院と改め、九鬼家の菩提寺に定めました。山門は創建時(1585年)のものとして残る唯一の建造物です。☟
歴代藩主の墳墓があります。☟
白洲家の墓地には白洲次郎・正子夫妻の墓があります。右が次郎で不動明王の梵字(サンスクリットを示す文字)、左が白洲正子で十一面観音の梵字、「戒名不要」の遺言通り梵字以外の何も刻まれていません。☟
「桜の馬場」から「大蔵坂」を上がると☟
左手に「三田カトリック教会」があります。「カトリック教会」は藩家老九鬼兵庫の屋敷跡であり、門と井戸が武家屋敷の面影を残しています。☟
このあたり一帯が静寂で落ち着いた屋敷町です。。江戸時代は「侍町」と呼ばれ、上級武士が住んでいました。今も江戸時代の名残りの武家屋敷門、幅広の道、鍵の手の曲がり角、白塀屋敷が残っています。☟
屋敷町から坂を下ると、西方寺、妙三寺、正覚寺が現存する「寺町」に出ます。
中でも妙三寺は毎年寒さまだ厳しい3月初旬に下帯一本の修行僧が境内にしつらえた結界の中で冷水をかぶる「妙三寺大荒行」が有名です。☟
また昭和を代表する国民的詩人三好達治は三田にゆかりがあります。三好達治は6歳のころ家庭の事情で親元を離れ、祖母のいる妙三寺で育てられ、小学校5年生まで三田小学校に通っていました。三田の暮らしがなかったら抒情詩人といわれた三好達治はなかったと言われています。☟
<三田駅北側コース>
JR・神鉄三田駅の北側には、三輪神社、三輪明神窯跡史跡園、欣勝寺など見どころのある史跡が点在しています。順次、三田駅から写真と案内文で史跡をたどりますね。
まず、JR三田駅北側のロータリーを三輪神社に向かって出発進行! といってもバスに乗らないでね↓
ロータリーの左角にあるコナミスポーツクラブのビルを左折して進み、↓
突き当たったその道が三輪神社参道です。↓右折して参道を行きます。
三輪神社参道は昔の丹波街道であり、旧国道176号線です。正面の高台に、目指す三輪神社の屋根が見えますね↓
昔は様々な商店が軒を連ね、こんな賑わいをみせていたようです。⇓ (三輪明神窯史跡園のパンフレットより)
こちらは杉玉のある商店↓そこかしこに歴史の面影を残しています。
直進し、現在の国道176号線を渡ると、三輪神社の大きな鳥居が出迎えてくれます。⇓三輪神社は、8世紀中ごろに大和の大神(おおみわ)神社(現在の奈良県桜井市)から分祀されました。由緒あるお社なんです⛩
終戦のひと月前に空爆で被弾した半鐘が展示されています。⇓こんなのどかな三田盆地に飛来して機銃掃射で学童たちを殺傷した戦闘機。戦争の狂気とはいえ、その兵士たちはその後どんな人生を歩んだのでしょう。これを見れば、改めて非戦の思いを強くします。
三輪神社拝殿に向かう階段左横に、ひっそりと小さな祠「庚申堂」が佇んでいます。↓実は昔、境内に勢住寺というお寺があったのです。いわゆる神仏混淆ですね。明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、仏像は神戸市北区道場町にあるお寺に引き取られました。わずかに勢住寺の名残をとどめるものがこの「庚申堂」なのです。
急な階段を上ると三輪神社拝殿です。⇓ご祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)。日本神話「因幡の白うさぎ」に登場する大国様=大国主命(おおくにぬしのみこと)といえば、しっくりくるでしょうか?
毎年7月に行われる「茅の輪くぐり」の神事では、多くの人がこの茅の輪をくぐって健康祈願をします。⇓
次に、ここから三輪明神窯史跡園へ向かいましょう。
拝殿の裏山(通称ちゃわん山)を山越えしても行けますが、ここは、拝殿への階段を一旦引き返し、三輪神社と書かれた石柱横にある花山院への古い道標を見てから、車道をGO!↓
古くからある道「大道坂」を行くと三輪明神窯史跡園が左側に見えてきます⇓「三輪明神窯史跡園」は、江戸時代から昭和初期まで操業していた三田青磁の窯跡を保存しています。三田青磁の焼き物の展示や実際に焼き物体験も行っています。
これは、6基ある登り窯の中の1号窯跡です。↓焼成室は4室あります。釉薬の溶けた跡などが非常によく観察できます。
斜面上から撮っています。中央が3号窯跡、右が前述の1号窯跡です↓3号窯には焼成室が14以上あります。地上に見えているのは、全体の長さの半分以下で、それ以外は地中に埋められて保存されています。2号窯にいたっては、完全に地中です。
では、雷除けで有名な欣勝寺に向かいましょう。
そのまま道なりに、また5、6分歩くと欣勝寺への案内板が出現。ここを左折⇓
ここから複数の案内板に従って約6、7分、登り坂を行くと欣勝寺の入口に到着です⇓
曹洞宗の欣勝寺山門⇓左右の石板に描かれた雷神と風神が出迎えてくれます。
このお寺には、古より「境内の井戸にあわてんぼうの雷の子どもが転落し、和尚が助けてあげたことから、雷の親は欣勝寺や桑原には雷を落とさなくなった……」という民話が伝わっているんです。
欣勝寺の所在地は、三田市 ″桑原(くわばら)″。
そこから、雷が鳴ったとき、″くわばら、くわばら″とおまじないを唱えると雷除けができるという言い伝えが起こったとされています。
境内にあるその伝説の井戸です⇓昭和55年には、テレビ番組の「まんが日本昔ばなし」で「くわばらの起こり」と題して広く紹介されました。
本堂正面に山号額が掛けてあります。⇓この山号額は、日本で初めてビールを醸造したと言われている三田出身の蘭学者・川本幸民の曽祖父が1748年に寄贈したものです。